地球の民の子等

世界の若者達へ託す切なるねが


グローバル デモクラシーへの道(1)
レストランの星何ヶというようにデモクラシーが生きている国の政体のランク付けがあってもいいんじゃないかしら。 (民主主義の成熟度を測る物差しとして)世界には様々な政治体制はあります。近代国家と言われる国々は民主体制を執っているのが大方ですね。 しかし内容的にみると、例え一見選挙で選ばれて民主主義国のように装っていても内実は違うというのもあるでしょう。
技術の進歩は日々に前進し、その情報の便利さ正確さは私達老人には想像すらつかないスピードです。それなのに政治の仕組みはここ何十年も変わっていない。 選挙を用いたというだけで。G7・G20一国の代表者達によって大事な事は大方決められています。
国の代表者となる方は当然優れた人でしょうが、個人の能力には差はあっても、何万人、何十万人の希いを具現する能力を持ち合わせてはいないでしょう。 そのお方の人間として生きる土台、つまり生命のエネルギーは私達一般人の人間としての土台とほぼ同じなのです。いつ寿命が尽きるかも分らない生命を抱え、食べなかったり睡眠を取らないで働き続ける事も、そこそこにそんなに差がないでしょう。
それに生物としての人間には寿命(限られた生命)があり生まれた以上保身を第一義に考慮しなければ生きてゆけません。 それ故、私はみんなの代表ですから、みんな(国民)の為に働きますと宣言し、自らもそのように努力している積りでも、その自分が亡くなっては、それを出来ませんので、先ず自ずと自分が生き永らえるように自分の力(権力)が永続するように動いて了うのです。
民主主義手法で選んだ人だから、全てを任せても大丈夫なんてトンデモナイ。人間の能力の限界を知らなければなりません。 任せっぱなしは私達一般人の怠慢です。実は私も日本国の場合、公正な選挙で選ばれたのですし、私自身自分の役割(投票する)を果たしたのですから、それでいいのだと思っておりました。が、その後じっくり分別してみたら、次のようになりました。

嘗っては政治に関わる人は普通の人は、なりたくてもなれなかった。いまはなれるのです。任せっぱなしは、私達一般人の怠慢(思慮分別をしていない)だと思います。

ノーベル賞をもらったり、オリンピックの金メダルを取れる人には、中々なれなくても政治家は大方の人達はなれるのではないかしら。〝志〟を持っていたら。
コストダウン、利益率up、営業成績向上、集客率up、私達日常生活で目指している目標の中に、民主的政治の浸透を考える生活スタイルを入れるべきです。プロの政治家にならなくても、政治を考えるべきなのです。

選挙の当落を常時心配しなくてもよい一般人の方が国の未来等を悠長に考える余裕があるのです。自らの能力を眠らせたままにしないで、グローバルデモクラシー成長の為に役立てて下さい。それが世界平和実現の為の本当の第一歩になるのです。カショギ氏をも守れたかも知れない。

デモクラシー達成の為に独力で国に訴えて生命を失いました。殆どの人々は彼の無事を願っていたのに。 国民を外敵や犯罪から守る為の軍隊警察のような力が時の力のある権力者を批判から守る為にその批判者、個人を狙うなんていとも簡単。 何故、彼を救う事が出来なかったのか。彼の前にも多くの自由の為の戦士、デモクラシー達成の為の戦士を似たような仕方で失っております。多くはジャーナリスト達です。
世界の国々の民達にたずねたら平和を求めない人はほとんど居ないでしょう。多くの国の大部分の国民達は世界平和を希っているのに。 旧態依然とした政治の仕組み(権力集中の仕方、戦争を起こす為のスイッチ=ボタンが少数の限られた人に握らせている)に依存しているから道が遠いのです。
今回の米朝会談も若しそれが出来たらと考えてみました。アメリカ国民の一般人の代表何人かを選ぶのはそんなに難しくはないでしょうが、北朝鮮の一般人の代表達を選ぶ事が出来たとして、会談させたら戦争忌避の方向性をハッキリ出せたのではないかしらとも考えられます。
プロの政治家を目指す人はどうしても権力志向の人と云うか、自分の存在を際立たせる演技をし勝ちです。一般大衆の中に自分を埋没させる生き方は取らないのです。 それに最終的に一人の許に指揮権が集約されているのは戦時体制の場合の指揮系統の乱れを防ぐ為のものと最終的な責任の所在をはっきりさせる為のものであり、民主的体制での平和時には不向きなものと考えます。
最近の情報伝達の技術革新を生活の便利さだけに利用しないで、政治の仕組みと権力の在り方を、公平にデモクラシー浸透出来る方法を考えて下さい。 現在も巾を利かせている旧態依然とした各国の政治の仕組み、意志集約の仕組みが、デモクラシーの達成の邪魔をしているように見えますが。 合議制・長期政権ではなく適時人間交替、これはデモクラシーの基本と考えます。
アメリカ大統領選挙の3選なしは一つのお手本でしょう。それでアメリカのデモクラシーに欠陥はないか、と言えばそれはあるでしょう。人間の考える事、為す事に欠陥のない事はないのですから。 だから互いに注意し合える体制が不可欠なのです。特に主張したいのは、グローバルデモクラシーは私達一般人、被統治者にとってのみ都合が良いのではありません。統治者になる人にとっても救いになるのです。
一国の統治者はそれなりに秀れた人材の方でしょうが、人間が持って生まれた能力って、基本的に肉体的に精神的に何万人分の分別働きなんて出来る筈がありません。 選挙によって選んだのだから、私達の事を考えみんなの為に働いてくれるだろうと私達は期待し、彼等は期待されますがこれに応えようとすればする程、彼等の関心は当然自らの存在を確かなものにするしかない。自らの保身です。選挙に落ちたら元も子もなくなります。
ですから、第一の関心事は当選する事、それも続けて。若しあなたや私も其処に居たら似たような事を、同じような事をするのではないかしら。恐らくまわりのスタッフもそうでしょう。 これは人間の弱さ、本性から来るものであって致し方ないと言えば致し方ない。

有限なる生命、有限なるエネルギーを有する人間の限界なのです。自分の不安定を恐れるのです。所持する力が大きい程、失った時の落差も大きくそれを恐れるのです。 それ故、選挙によって選んだからと云って、現在の政治体制をその侭ではその国のデモクラシーとグローバルデモクラシー具現する仕組みではないのです。 かって一般人達は強い主のもとに身を寄せたのはそうする事によって、自分(家族も含む)の命と存在(地位財産)をより確かに守れたからです。

かって主は家来の命(存亡)を握ってた。しかしデモクラシーのもとでは、あなたの命(これから生きようとするエネルギー)はあなたが握るべきです。 一つ一つの生命にその意志を認めて互いに支え合う存在である事を認識するのが、デモクラシーなのです。それなのに自らの生命を握ろうとしていない。 選挙で選ばれた代表(投票をしない人はその代表を選ぶ主権さえ放置している)にゆだねて了って、安心し切っている。本当にこの先ずうっと大丈夫なのですか。
不安定政権よりは欠陥はあっても安定政権の方が国民の為になりますが、それに便乗するように現政権を握っているものは保身策を考えて執るのです。 よって動脈硬化ならぬ、権力硬化がはじまるのです。権力硬化は彼(統治者)の為にも私達の為にも防がなければなりません。 彼等は能力以上の事を任されて心身共にくたびれているのです。それに気付かないのと、 権力集中これは魔力と云われ、周りの景色(状況)が正確に見えなくなるそうです。

私達一般人は大方、先祖代々被支配者階級としての生活が長いので身にも心にもしみついて意識せずとも、 隷属性に慣れて了って当たり前に受け止めて了う傾向があるのではないかしら。 と云う事は〝決める〟よりも〝決められた事〟に従うのに馴れて了っているのではないかしら。

教育制度の最初のスタートは庶民階級の子弟ではなく、それなりに余裕のある階層の子等になされたのではないかしら。その頃は支配する階級と被支配者階級に分かれて居ったので支配する階級の子等に教育がほどこされたのでしょう。 現代は大方の人々が手に入れる事の出来る世界の様々な情報もその頃は一部の人々(力ある)にしか入手出来なかったのです。
支配者階級の人間は被支配者階級の人間よりダントツ少数だった。その子弟達は自分が学ぶ知識情報を以って被支配者階級をより効率良く支配し、己の階級の人々と自らの安定の為に主に利用したと考えられます。 デモクラシーのいう考え方は大方の人々の思いの中にはまだ芽生えていなかったのではないかしら。
現代は大学院卒のタクシーの運転手さんも珍しくなくなりました。どうしてそうなったのでしょう。高学歴であれば、子供達は、自分より地位がありかつ豊かな安定した生活が出来るであろうと、世の親達は子供に高学歴を施すのに必死です。 そういう人達が少なくない。国内でも国外でも。
実際の生活力というのは一日三食か二食し身を整い、仕事に就かなければならない。仕事しないで生活出来る人は此処では除外。その食べて、寝て、効率よく動き回るのに、高度な知識よりも極めて常識的な判断と手順による身体の動かし方、つまり家事雑事は欠かせません。 どんなに秀れた人でも食べないで寝ないで、不潔な侭で生きてゆけません。家事・雑事は被支配者階級にさせるものと考えていたのではないでしょうか。
食べ物を生産し、それを調理し、その人の一日を気持ちよくスタートさせる(舞台に立たせる)為の準備は絶対必要なのです。生まれた出自によって生きる社会の階層が絶対かほぼ決められていた時代までは、自分 の属する階層の人間の生き方は大方決まっていた。だから思い悩む事なくそれ迄の〝しきたり〟に従い眼の前の為すべき事に励めばよろしかった。なのに今は違う。出自に関係なく自由な生き方が出来るようになった。
支配者階級の為の教育を施された人間の前には、その支配と命令を待っている被支配者階層の人間はもう居ないのです。知識は当然世の中の役に立って居りますが、知識が直接世の中を動かすのではありません。その知識に従って手足を動かす人間が世の中を動かすのです。

いまの学校教育はデモクラシーを具現させる為にどの程度役に立っているのでしょうか。 物覚えの良さだけで人間の優劣を決めるのは、情報がこんなに開示されていない時代では役だったのでしょうが、今は不要と云うてもよいのではないかしら。

共に学び、共に耐え、共に動き、必要に応じて、適時交替するのがデモクラシーなのです。いまだに机の前に座って勉強というスタイルですが、田に畑に海に山に人間が生きてゆくのに必要なものが、どうして求められているのか実際に目で見て学ぶ機会はもっとあるべきです。

その結果、机の前に座って学ぶのが得意な人と、田や海や山で身体を動かす方がより楽しい人は、 それ等の技術方法を主として学べばよろしいのです。そして互いに平等で役に立っているという認識のもとに、手を携えるべきではないかしら。

思想(個人個人の考え方)が、時代のスピードに従いて行ってない。はるかに取り残され遅れている様な気がしてなりません。誰も歩かなかった土地に足を踏み入れるのは中々出来ない。少しでも先に歩いた道を辿ろうとするのが大方の人の為す事なのでしょう。 行動するだけでなく、考える事も似たようなルートを辿るのかしら。

被支配者階層の人間としての歴史を先祖伝来受け継いでいるので、その思考(生き様)から中々抜け出せない。高学歴だから子供達は偉くなって豊かになるのではありません。それは以前の時代に支配者階級の子供達がそうであったという事。

先に申したように知識・情報開示のなかった時代での話です。日本の子供達が被支配者階層の居なくなった昔の支配者階級の名残りの教育を施されても手下のいない、部下のいないお頭になっています。 日常生活の些末な事に疎い、部下のない、手下のない〝たいしょう〟〝おやぶん〟は惨めなものです。今の教育は何故かそのような人間をつくり出しているような気がしてなりません。
人は力の強い親分(国であれ組織であれ)のもとに集います。戦さに勝てる親分のもとに居たら自らの生命と財産の保証も高いからです。デモクラシーの基本理念は自らの親分は自らなのです。

民主主義的手法(選挙)で選ばれても何故か一人か二人の極少数の人間に戦争を起こす決定権が委ねられているのか?第一次世界大戦、第二次世界大戦で生命を失った犠牲者達、勝った国でも負けた国でも。 彼等の大部分は恐らく戦いは望んでいなかったのに戦場に駆り出されたのか。それは何故か指令者に従わざるを得なかったのです。

たくさんの民達が望まぬ戦いなのに、何故起こったのか、それは極く限られた人に自分を強く偉く見せたがる人に交戦権を委ねていたからなのです。それなのに現代も同じじゃないですか。あなたは自分の生命を管理出来て居りますか。

〇〇国に属している限り、あなたの居ないところであなたの生命は左右されているのです。浅学者の一老女の妄想と云われるかも知れませんが。 より強い親分であろうとする統治者(一国の代表者など)は自らをオレは強いぞとPRしなければ支持を得られないので、自らを強者に見えるように作為せざるを得ない。

私達一般の民は強い親分を求める故に、長い人類の歴史被支配者階級の隷属性が身についている故に。 その為に前にも申し上げましたが、外敵の存在をアピールして、己への批判の眼をそらさせ、敵を倒す為に現統治者を中心に民は結集しなければならないとPRする。

次のような例えにすると理解しやすいので用いるが、必ずしも適切ではないが、ヤクザの親分が自分の命令に従う子分を守り、強さをアピールするには他のヤクザの存在を排除して己の強さを拡大してゆかなければなりません。

国家の統率者も何処か似ていませんか。地球上での占拠は最早限界なのですか。これ迄のやり方で強大国はより一層その力を強めるのに躍起です。(軍事力を増強し占拠している)強大国を目指す国も同様にやっています。
いまは地球の裏側の情報も手に入り、話し合う手だても技術的に可能な時代になっていても思考(考え方)が旧時代の侭なのです。私が希い主張して参りましたように、地球という同船の仲間のよしみで、グローバルデモクラシーの観点からすれば、地球上で戦う相手は居ない筈なのです。 例え一時的に勝利したように見えても、そのやり方がいずれ遠くない将来人類を亡ぼすようになると,大方の人々は考えて居ると思います。

国の統治者に任せすぎ、期待しすぎなのです。あなたはあなたの主人なのです。戦争を望んで居りますか。彼等(統治者)も同じ人間であり一個人としての人間の限界は私達とさほど変わらないのです。彼等統治者達の虚勢の為に簡単に戦争を起こされ命を駆り出されては堪りません。 プロの政治家達も限界を超えて疲れて居るのです。

デモクラシーは統治者も被統治者も両方を救う〝道〟なのです。人類を救うこのグローバルデモクラシーへの道を如何ように歩を進めるべきか。ネット社会IT社会の力で世界の民・地球の民の知恵と力を結集し平和への道を確かなものにして欲しいと希って居ります。 世の有識の方々、フレッシュな頭脳の方々のお力添えを賜れればと希っております。
マスコミ(報道機関)の力は大きく尊い。その正しい報道の為に、デモクラシー・自由への戦士達は命を捧げました。普通選挙が行われている国では誰でも為政者になれるのに何故か一般人が為政者になれなかった時代の〝口調〟が引き続いているのではないかしら。

善良でない為政者によって善良なる民は損な扱い方をされていると。力のある者への批判は報道の基本姿勢である事は分かりますが、大事にされていない、どうしようもないと悲哀を感じさせる〝口調姿勢〟が気になります。 〝口調〟が時代に合っていません。遅れております。生まれつきのお殿様(善良でない)はもう居ないのだから。あなたの立場はあなたが変える事が出来るのだから。同情を求める必要はないと。

あなたは投票に行きましたか。行っていないのなら政治を語る資格なし。 あなたが望んでいない政治が行われているなら、あなたの望んでいる政治を行って貰うのにあなたはどのように努力なさいましたか。

投票にも行けるのに行かない、他に何もしていないのなら主権在民の〝有難み〟この資格を一般人が手に入れるのにこれ迄多くのギセイが払われて居りますのにその〝有難み〟をなおざりにしてあなたは自分の住する世界の行き先は気にならないのですか。 デモクラシーも他の事同様に育てようと世話をしないとうまく育たないのです。

放置していると邪な目的を持つ人間や機関に巧く利用されて了います。 マスコミは、デモクラシー育成の為に一般人は常に務めるべき事をもっと、もっとすすめる役目をお願い致したいと感じて居ります。如何でしょうか。

浅学者の一老女が一生懸命考えたのです。
妄想と思われる方はその分私に教えて助けて下さい。昔、主になる者の為にそれなりの〝帝王学〟がありました。私は通じて居りませんが術(わざ)というより覚悟(心構え)を教えたのではないかしら。

デモクラシーの代表となる者の新しい時代に合った、新たなデモクラシー帝王学は必要なのでしょう。それを考えて創るのも次世代のあなた方なのです。自分の組(国)だけを考えるのではない。共に在る事を念頭に置いて貰わなければなりません。

自国第一主義がもてはやされて居ります。それも致し方ないのです。自分がなければ世界もありませんから。 同一均一を目指すのではなく、違いを認めて仲良くする事を目指し、それに馴れるようにしてゆかなければなりません。そういう時代のリーダーがどうあるべきか、みんなで考えましょう。

駅伝のリレーの〝たすき〟を引き継ぐようにうまく無駄なく〝権利・権力〟を引き渡すことが出来ればよろしいのに。 世界の国々の若者達よあなた方次世代を担う地球の民の子等に命を尊び幸せあれと切望いたします。

たくさんこれ迄有難うございます。
一般人の怠慢と申しましたが、次のように訂正いたします。
方向性が向いていないと。

技術の進歩が格段なのは、大方の人々が生活の便利さを求めた結果なのです。若し政治の改革を大方の人々が求めたら、求めた方向に変わって参ると思います。 世界の大方の人達の思い、世界平和への希いを今のIT社会、ネット社会と結び付ければ、ぐうんと近づくのではないでしょうか。大いなる力を有するマスコミもその啓蒙に一役(というより主導的役)買って貰いたい。

正しい報道を公正なる判断に基づいて為す姿勢に違わないと思います。その国の成り立ち、国情によって各国のデモクラシーの成長や姿に差異はあっても、世界万民の平等なる生命価値を目指すグローバルデモクラシーは、治める者も治められる者をも救います。
以上。

[グローバルデモクラシーへの道 1]
2019 (令和元年) 5月15日

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