地球の民の子等

世界の若者達へ託す切なるねが


あとがき
叶うならば

亡き両親(父 永澤繁司 母 永澤ミツエ)のもとに、この一冊を届けたい。

振り返れば、父の申した言葉が思い出されます。 警察官の職から、県庁職員に出向し、戦時中、県経済保安課長として、青森県の統制経済の任を果たしたようです。
朝出勤する時、母に、戦争に生命をかけて戦っている国民、県民が居る。自分はこの仕事に生命をかけている。業者達から、ちり紙一枚貰ってはならない。届け物があったら全て拒否するようにと。
ある時、津軽塗の大きなテーブルが、玄関の横に残されて居りました。当然母が受取拒否したにも拘わらず。父から厳命されておりましたので、母はリヤカーを借りてきて、私(小学3年生くらいかしら)が後を押して、置いて行った人のところへ返して参りました。その時だいぶ重たく感じられた記憶がございます。
終戦後、ある雑誌社の記者の方だったと思われますが、青森県のりんごの木が戦争中、伐って他の食料生産にあてるようにという命令を、当時の永澤さんが拒否されたから、県のりんごの樹は助かったという話を聞いている。その経緯を記事にしたいからと、訪ねて参りました。
父は自分の役目上当然の事を為したまでの事、手柄話にされては困りますと、断りました。後日、父からその時、中央の指令を受け入れざるを得なかったら、その前に自分を辞めさせて欲しいと願い出て、知事が自分も、も一度 考えてみると預かり、りんごの樹を伐る事を断ったそうです。
退官後、建設業に身を置いた時、”俺はこの業界の腐敗防止剤的存在、塩的存在でありたい” と申して居りました。その後、何年たったのかしら、いまから40年位前の頃、同業者の一人から、私は云われました。

”親父は警察官上がりだから致し方ないが、お前はただの業者だろう。正論弁じて何を正義感気取っているのだ。親子共々貧乏していろ” と。

宝塚少女歌劇のモットー、清く、正しく、美しくを真似て生きて行けたらと希っている。

美しくという言葉は宝塚歌劇には合っても、私には無理かなと、一瞬思われましたが、美しいという言葉は私達の目に見える美しさだけを表して いるのではない。”心の美しい人” という表現があるように、人間の求める究極の様相は美しいのではないかしら。

その上、小事業を営んでいるので、利益を上げて豊かにもなりたいと望んで参りましたが、力及ばず、彼の予言(貧乏していろ)通りでございます。
でも、それなりの収穫があったと自負致して居ります。豊かになれた人達には恐らく見えなかった、人生の景色を見る事が出来て、学べる事がありました。人間の弱さ(弱いから強く見せたい)と権力と結びついた時 ”ワルサ” をするのです。
権力が大きくなる程 ”ワルサ” の影響が大きくなるのです。人間の限界を自覚し、互いに補い合って身の丈に合った生き方をするべきだと、思われてなりません。
[ あとがき ]

令和三年三月十一日(木) 自宅にて 筆を擱く

”地球の民の子等に幸せあれ” 平安。

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