地球の民の子等

世界の若者達へ託す切なるねが


グローバル デモクラシーへの道(7)
誰れもが、自分を幸せにしたいと願っているのに、それが出来るのは、その力を持っているのは自分自身ですか?あなたは他の誰れかの存在によって幸せを感じていらっしゃいますか。 誰れか他の人の存在によって不幸せを感じて居られますか。あなたの好む、望む世界はいかようなものか、具体的に書き出してください
あなたをあなたが幸せに出来なかかったら、誰方があなたを幸せに出来るのですか。あなたは誰れかを幸せにして居りますか。幸せにする自身がございますか。

大方の人々が世界平和を願っているのに実現されない。私たちの思想(考え方)が100年遅れてる(正確な数字ではない)民主主義の世になっているのに、政治の世界ではそれが有効に活用されていない。

天災や病気、事故で亡くなった人々を少なくしようと、人々は懸命に努めていたのに、ピンピンした若い人達が戦争に駆り出されて命を落としました。 戦いに出た人は自ら戦いを望んでいたか。否。駆り出されたからです。誰のために。統治者(権力者)を守る為に、捨石にされたのです。

民主主義は、あなたの主はあなたの筈です。自分の意志で生命を自己管理出来るのが民主主義なのに、いまもそれが為されていない国は珍しくない。

何故統治者を守るために一般の民は使われるのか、それはかつてその時代、その人(統治者)を守ることに通じたからです。警察力、軍事力はその為の力なのです。

民を守らない警察力や軍事力は民主主義ではないのです。外敵から国民を守る為の警察力・軍事力なのに、国民を攻めるのは過去の統治者の時代の、それも誤った考え方(思想)から、抜け出ていないのです。

あなたの生命はあなたのものなのです。
あなたが管理し生末を決めるべきなのです。それが民主主義の土台です。私達大方の民達は長い歴史の中で先祖伝来被支配者でした。その習性が、私達の思考体質、行動体質から抜け出ていないのです。

より強い権力者のもと、足下に馳せ参じた民達は強い主人のもとに居れば生命も長らえるだろうと期待するのです。英雄を期待するのです。

あなたでも、私でも、若しいま、権力者の座(選挙で選ばれて)に就いたとしても、大体似たような行動を取るようになるのではないかしら。

A氏が善でB氏が悪なのではない。所詮、土台は明日の命が分からない弱い人間ばかりなのです。

弱い人間だから、それを強くみせようと(私達の期待する英雄に自分を見せよう)法律を変えてでも警察・軍隊を己の地位保全のために利用しているのです。

だから、戦争体制(命令が乱れないように一極集中)の現在の政治の在り方を変えて、民主主義を実現する権力の在り方を創る政治体制に致さなければなりません。

外敵の存在を唱えて、国内を結束させるのは政治権力の常套手段です。比較的情報が正しく一般国民の目に届いている世界の国々の民達は彼らに他国民を 敵対視し戦って、ほろぼすべき相手だとは捉えていないと思います。

自然災害や病気によって失われる生命を減じようと人類は努力しているのに権力者の自己保身の為の戦争によって失われた健康な若者の生命の方が、少なくない筈です。

たまたま〇〇氏を偉大な英雄だと過信し期待しない事です。リレーの選手が代わるように長期政権に就かせないで代わるべきなのです。弱い者同士が支え合って生きてゆくのが民主主義なのです。 あなた自身があなた自身を治める名君になって欲しいのです。

これからの地球の民、私達の為すべき事は大抵同じような事だと思います。左右に別れる程、その目標(目ざすもの)は差がないと思います。 方法論に違いがあっても。

異常気象を静めるには?コロナ禍を収めるには? 核兵器を所持して地球の病気を収められますか。誰かを大将として、彼は敵をも味方をも共に救えますか。

あなたは、あなたの大将なのです。勝者も敗者も同等に生きる権利があるのが民主主義なのです。勝者も敗者もないと云った方がよろしいのかな。

自己の命の行く末に「思いを致すと政治の力が大きく関わっている事を今更に知る。 選挙に無関心で居られない事を知る。

あなたの行く末(死ぬか生きるか)を他者に任せ切りにしておいてよいのか。 選挙が民主主義実現の為の最良の手段だとされ、投票した者たちは恐らく自分はこれで民主主義の役目を果たしたと、或る程度安堵しているだろうが、それも投票しただけでは、まだまだ危ないのです。

当選者達は殆んど心変わり、変身して了います。もともと一個の弱い人間という存在だから、自己を偉く強くみせようとして自己保身の為に、 もともと国民を守る等警察・軍事力を行使してまでその地位に執着します。

かつては統治者(権力者)になれる人は、極く一部の出自によって決められていて、私達は先祖伝来、長い事非統治者で己の生末(生命) も自分の手の中になく、一方的に決められた命令に従う生き方しか知らなかったし、その生き方以外は経験しなかったのです。

自国の権力者を守る事は、他の国の権力者の暴挙から自国の民をも守る事になって居りました。

それなのに今の統治者は、民主的選挙で選ばれた一時的な統治者な筈なのに、自らの長期政権を維持する為に、己れへの批判者たちを抹殺しようと、警察力、軍事力を行使している例も後を絶たない。

国民を守る為の警察力、軍事力は全くアベコベの働きをさせられている。それは戦時体制の権力一極集中になった侭だからです。 そして自分は偉いから批判者を排除して、自分は国と国民を守っていると錯覚して了っている。

眞の英雄など簡単に出現するまでもなく、もともと弱い人間が英雄視されて思い上がり、自分を選んでくれた一般の民と、そうして終局は自ら(権力者)をも不幸にする道につき進んでいる。

デモクラシーは英雄がもたらしてくれるのではない。私達が自らをしっかりと管理することに尽きるのです。どういう世にしたいのか、よくよく考えて、そして、いま自分に何が出来るのか何を 何をしなければならないのか、これ迄自分の人生の効率よく生きる為のスキル向上等に、注いだような分別と熱意をもって、さがし求めるのです。

選挙に立候補する者達の掲げる公約は聞き易い事が多いのです。明日(未来)は今日より楽になる。輝いているという風に。その結果が今の地球の現状です。異常な気象です。しかし一次産業に従事なされている人々は、 自然が相手ですので、3連休だとか4連休などと、とても休んでは居られません。

彼等の日夜たゆまぬ働きによって私達は生きていられるのです。それなのに土の匂いのしない業種の利益が大きく、巾を利かせて居ります。 私達は生きている原点を見失ってはなりません。遊びもほどほどにせよ。豪華奢侈を求めるのもほどほどにせよと言う事なのです。

人間は弱い生きものだから、それから目をそらし、強くみせたい強くなりたいという希いを持つのですが、先ず自らの限界を知り受け入れるべきなのです。
そこからのスタートです。

私達個々の未来に、私個人よりはるかに大きな影響力を持っている政治権力の在り方は、民主主義体制にはなって居りません。 平和時の体制ではないのです。100年以上も前のまま。私達の考え方(思想)も、それを容認しているのですから古い時代の侭です。

命令系統が一極集中戦時体制なのです。民主主義の民意を反映する民主主義体制にはなって居りません。

この地球上に生をうけた民には、みなこの地球上で平等に生きる権利があるのです。大国と称する軍事力、経済力の強い国に引っ張られて参りました。が、これからもそれでよろしいのですか? いまも大国ならんとする国の動きが顕著です。

力とはなんぞや。強い力が勝って弱いものは負けて強い力に従わざるを得ない歴史を、私達人類は繰り返して参りました。

民主主義体制を標榜する指導者(権力者)の眞価の見極めは、自分に負けた敗者には如何ように配慮して、彼らの存在を認めるかにかかって居ります。 敗者を排除し抹殺するのでは、民主主義が成り立ちません。だから軍事力を誇示する権力者、指導者は民主主義体制では不要なのです。

でも、私達は強い者に憧れ、自分も少しでも強くなりたいと願っているのです。ヤクザの世界の親分と、民主主義体制の親分とは違うのです。 私達の心には英雄を求め、英雄に助けられて長く生きられると言う思いがあります。 嘗て人類の歴史はそうでしたから。

でもこれからは、それでは駄目なのです。一部の特別な人が私達を生かすのではありません。私達は自分自身を自分が生かさなければならないのです。 海外をみても、国内をみても、選挙で選ばれた政治家達の責任のなさが目立って居ります。

責任の自覚の足りない政治家達に、私達は”力”を預けているのです。危うい限りです。国民に守れと命じながら、自らが先ずそれを守れないのに謝る政治家は まだしも、(謝る姿はもう見飽きてガッカリですが)開き直るトンデモナイ思い上がった政治家も居ります。危うい限りです。

国民には不要不急があっても、自分のやる事には不要不急が関係ないと言う事なのか、これこそ勘違いの甚だしい危うい政治家です。民主主義体制にとって最も不要な政治家です。

かつては、指導者、権力者になれる人間は出自によって決められて居ったから、彼らは幼い頃から指導者になるべく教育をほどこされて居ったと思います。 覚悟の執り方”民を幸せにする政の在り方について”等。選挙で選ばれて代表になったからと云うても、あなたは全て秀れた人間ではないのです。

地位が上がったからこそ下々の人間に対する配慮が必要で、失敗した時はいさぎよく責任を取る覚悟が必要です。 優秀だと思われ思っている人間は素晴らしい事も為すが、半面、普通の人ではやらないトンデモナイ大きな間違いも為す危険性も大なりと、認識して貰わなければなりません。

民意を反映する地球丸の進みは遅くても、大きな座礁は避けられるでしょう。 かつて主(権力者)をたすけるのはその下々の民達をたすける事に繋がったのに、いま選挙で選ばれた代表たちは錯覚している人が少なくない。 極めて限られた力しかない私達人間は夫夫が自らの限界を知って、能力が劣えたら他者に代わるべきなのです。

あなたにしか能力があるのではありません。人間は間違いを犯すから人間なのです。それ故、自らの無謬性を信じ、主張する人間や集団(国等) ほど信用出来ないのです。自分の後姿、歩き方を自分では観られません。お互いに”あなたの此処が間違っていますよ”という相手で居てこそ、 自分もたすけられ、相手もたすけられるし自分も相手にも役立てるのです。

民主主義体制では”間違わない”と公言する人間(集団)ほど危険な存在はないのです。それではいま、自分に何が出来るか考えましょう。

政治体制の仕組み(100年以上も前のまま)を民意を反映する民主主義体制にするため、どう変えたら良いのか。学者先生のみならず一般人も一生懸命考えて話し合うべきです。

地球上の民としての民意は何処にあるのか、そしてそれをどのように具現化してゆくのか。拾い上げ方。行動に移すのは?若いお方々に充分分別して頂きたい。コミュニケーションは格段に進んでいるのですから。

これからリーダーは輝く未来の話ばかりする人ではありません。我慢すること。夫夫の人々が、自らを振り返り是正する事を見つけ出すよう指導出来る人ではなくてはなりません。 その為には自ら範を示されるような人でなければなりません。

それでも、彼を半永久的に信頼してはなりません。間違いを絶対犯さない人は居ないのです。その時は正しくても、次もその次も必ずしも正しいとは限らない。正しいと確信している時程、注意が必要なのです。

G7・G20に任せておいて大丈夫かと申し上げるのは、彼等統治者(権力者)になった人間は、権力志向の人間ゆえ、手にした権力を簡単に手放さない例をたくさん見て参ったでしょう。

敵がいるから、自国は自分を中心として結束しなければならないと、云う方向に持っていく傾向があります。 私達一般国民の考え方を主体としたら、正しい情報を与えられているとしたら、然程他国民を敵対視する人は多くないとおもいます。

それ故、指導者(権力者)に主導権を任せ切りにするのは危うい点も少なくないのです。 権力者が集まったG7・G20ではなく、各国の一般の民が直接民主主義具現の為にその意志を集約し、行動できる仕組み(場) を創って欲しい。

これからは夢や新奇ばかり求めるのではなく、これ迄の事物を如何に有効に活用するかなのです。マラソンならとっくに折り返し地点を過ぎているのに、折り返していないのです。

100年以上も前の政治の仕組み(戦時体制)を変えなければなりません。私達同様、土台が弱い人間に私達も英雄たれと期待しないことです。彼もそれに応えようと無理を重ねるのですから。

選挙で選ばれた権力者達の権力に伴って、責任が重くなるという覚悟の底が浅いのです。自分自身の首(生命)をかけて、民を救うという気概がないのです。かつて名君と称された統治者達はそのようなお方達でした。 いまの権力者は人の上に立つ覚悟の教育を受けておりませんので、かえって姑息な手段を弄します。

私達が大方政治に関心を持たないで過ごして来たのには、それなりの理由があります。出自によって関与出来なかった歴史が長かったのと、 関与出来るようになってからも、政争に勝つと、負けるのでは生活が180度転換しますので、関わらない方が安全であります。

自分の得意とする技術(職業能力)を磨いてA氏が勝ってもB氏が勝っても、どちらかでも重用される人材でいる方が安全なのです。 政治権力を目ざす人材には必ずしも民の為にではなく、肥大な私心を満たす為にその力を利用しようとする輩も居ります。

いずれにしろ権力者を目ざす者たちに任せ切りは駄目なのです。あなたと子孫の未来の根幹が決められるのですから。

デモクラシーは本当は楽ではないのです。
私達が注文を出すだけで、誰かが成し遂げてくれる、のではないのです。自分で考えて決めなくてはなりません。 そして行動し、自己責任ですから、結果を受け止めなければなりません。 あなたを救うのもあなた。私を殺すのも私。民主主義は簡単で、楽ではないのです。

投票にもいかないというのは、民主主義を否定する行為。これまで多くの人がそれを目ざして犠牲になり、私達の手にようやく届いた民主主義という人類の知恵。 現在行使されている民主主義の切り札(投票)をしない者は、自らの未来を放棄しているのに等しいのです。

選ばれた人たちも立候補した時と当選者になって、権力を手にすると変わるという例をたくさん見て来たでしょ。 これまで何故変わるかを、私なりの考えを申し述べて参りました。それ故、当選した人を監視し続けなければなりません。

医療スタッフが人間一人の生命を救うのに、いかに頑張っているかテレビで私達はみております。それなのに、尊いたくさんの人命が権力闘争の為の犠牲者になっております。

世界平和は私達地球の民達の悲願です。 政治権力が夫々の国々において、どういう形で誰に握られているか先ず知ってください。そしてそれが私達一般の民の民意を反映しているかどうか見極めて、そのような民主主義体制に変えていかなければなりません。

警察力、軍事力はトップを守る事で、国民を守って来た筈なのに、現代の選ばれた代表は自分を守る為に、それを批判する者を封殺する為に利用して居ります。 警察、軍隊に所属する者達も自らの役目をじっくり考え直してみてください。

世の乱れよりも、落ち着いた世の方が一般の民達にとって幸せですが、その平安が本当に民達の望む姿なのか、夫々胸に手を当てて考えて下さい。

私達は宇宙から与えられた一つの生命を大切にするには何を為すべきかを考えましょう。嘗て得体の知れない相手に、いつ襲われるか予想できない人間社会の歴史がありました。 いま地球上での相手方の力量はおおよそ察しがついています。それで戦って勝った者は何を手に入れて、この地球上の人類を何処へ引っ張って行くつもりなのか。
たった一つの私達人類の生息地、地球に生まれた者たちは、地球上で平等に生き続けていく権利を有していると考えます。

グローバルデモクラシーの世では、全く違う発想が求められるのです。簡単に云って了えば、勝ち負けのない世界です。が、しかし、或る集団、組織を行動させるには、みんな横並びに平等に座っていては事が進みませんので、 役目と順序と秩序が必要になります。

それは人間性の上下ではなく、あくまでも一時的な役割に過ぎないのです。敗者と勝者に分かれて生き続ける世界ではないのです。

一次産業に従事し、私達の生命を支えてくれている方々には、オリンピックのメダルの色を競う発想はないでしょう。 天と地に謙虚に従い、3連休4連休や労働時間の制限なく、日夜もくもくと勤めてくれている筈です。私達の彼らに対する感謝の念と行動は足りないです。普段彼等に対する関心を持たないのが問題です。

主又は王様のような人の傍らで仕えている人間が重用されて来たキライがあります。 普段、余り直接目に入らない処で、私達の存在を支えてる人々の価値を認めるべきです。

私達人間は弱い土台を有してる弱い存在同志です。弱いから強くなろう。強くみせようとするのでしょう。が、弱いままで良いのです。 弱い事を受け入れて、互いに補いあって生きていけばよろしいのです。グローバルデモクラシーはその道をすすむ事です。

それ故、自らの非を認めない組織(国など)や統治者、権力者はグローバルデモクラシーと相容れません。

本当は。この地球上に敵はいないのです。
戦わなければ生き残れなかった時代が、長かった人類はその哀しい習性から抜け出ていないのです。
[グローバルデモクラシーへの道 7]
令和三年一月九日(土) 青森市自宅にて
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