地球の民の子等

世界の若者達へ託す切なるねが


グローバル デモクラシーへの道(5)

- 自分の未来(生命)は自分が守る -

医者は自分の家族には、こんなに薬を出していない。いま飲んでいる薬を持参させたら両手に抱える薬袋を持って来たので、コレモ要らない。 アレモ要らないと、大方の薬をクズ箱に捨てたら、その患者が不安の顔(ベソをかかれた)をして了った。

薬は効能の何倍もの副作用を持っている。極端な例では下剤と下痢止めを一緒に出している。個人開業医の友人達から、本当の事を声高に言って貰っては、困ると云われている。

以上は今充弘前大学医学部付属病院長から(20数年前)対面して聞かされたお話です。 それでは今院長の嘆きは現在解決しているのでしょうか。むしろそれ以上増々ヒドクなっていると思います
私は医学界の良心の欠如の問題かなと思いました。が、じっくり考えましたらそうではありませんでした。 厚生行政の問題です。やはり行き着く先は政治です。私達は政治の〝ゆがみ〟としての一錠一錠を飲まされているのかも知れません。

〝医原病〟という言葉も出て来ているのです。若しその服用しなくてもよい多くの薬を、長期間服用する事によって、新たな病や他の病気を誘発したのならまさに医原病ですね。

最近若年層の成人病の患者が少なくありません。他の要因もあるでしょうが、薬の副作用も関わっているとしたら、まさに医原病です。 こんなに医療も進歩向上しているのに病人の数は、減るどころか増えていると思います。
先ず第一は食。第二は交通機関の発達による運動不足。第三は医療です。 私達若い頃に比べて食材は比べ物にならない程豊富。国内は勿論、世界各国から取り寄せられて居ります。育てる過程において、農薬流通途中においての農薬。

遠くへ運ぶための日数もかかりますので、日持ちさせる為の防腐剤入りの食品を、いまの若者は子供の頃から食しているのです。

それを国民の生命と健康を守る厚生省は、キチンとガードしているのでしょうか。 人間一人一人には良心もあり欲もあります。組織が大になるにつれ一人一人の、ささやかな良心は隅っこに押しやられ、欲が肥大化してマンモス化するように思われます。

企業は年々大きくなりました。大きくならなければ、生き残れません。見た目も美味しそうにして多く売り、買って貰うのが民間企業の使命です。
〝公僕〟という言葉があり、役人達の使命を表しております。
〝政治資金〟という言葉があります。その大きな企業から政界に渡っております。彼等政治家達は選挙に勝たなくてはなりません。その為には政治資金が必要です。
私達の生命を創る食。私達の生命を守る医療。当然守ってくれている筈の厚生省ですが、 はたしてそうなのでしょうか。人間は弱い生きものです。明日をも知れぬ生命は、自分が守らなければなりません。
私達一般国民だけがそうなのではありません。統治者達(権力を行使できる人達)も同じ弱い人間なのです。自分の生命と立場(地位)を守る為に先ず行動せざるを得ないのです。 その時大きな政治資金が目の前に、どうんと積まれたら、その差出人の言い分を受け入れざるを得ないのではないかと思います。

ですから私達は自分をも100%頼ったり、信頼出来ない部分があるのですから、政治家達にも任せ切りは駄目なのです。

身の程身のという言葉があります。
身近なところで栽培された物を食し、季節感を無視したゼイタクを、有難度がってはなりません。
私達が選んだ人達がどのように行動するのか、しているのか常に見守り、監視しなけれ ばなりません。自分の生命と未来を、いま与えられた目の前の仕事をしていれば、守られるものではありません。

飲んでいる薬の一錠一錠にも政治が絡んでいるのです。食するお米も、野菜もお肉もです。政治の在り方は最も大切な根幹の問題なのです。

ノンポリなんて言うのは愚かな事です。みんなが望んだら生活の便利さが格段に向上したように、みんなが政治を良くしようとしたら政治も変わります

今、院長のお話を聞き、日本人の飲まされている薬量は世界各国に比べて、格段に多いという報道があるのを知った時、当初は医師の〝良心〟医療界の良心の問題だと捉えたのですが、じっくり考えると違いました。

今、院長が声高に主張しても、この世の中がそのようにならないという原因がある筈なのです。医師の良心が何故通らないのか、他の世界でも似た現象が起こります。先に申し述べ たように一人一人の良心が組織が大きくなると欲の集合に負けて了うのです。みんなで渡れば(違法しても)コワクないというように。

これは落ち着いて考えれば考える程エライ事です。延命治療の為に日夜研究が進んで居ります。その為にお医者様のみならず、研究に参加している人々も居ります。

若し仮に、さほど必要としない薬剤を多く摂り、それが副作用によってその人の身体の免疫力を低下させ、 医原病ならぬ薬原病を発症させているとしたら本末転倒、なんのためのお薬ですか。

私達のような老人であれば、これからの日本国の活力となれる時間も能力も限られて居りますが、若し日本の若者達がそのような状況にさらされているとしたら、大変恐ろしい問題です。 若年層の成人病患者が多いというのも無関係でなかったとしたら国の未来をつぶす一大犯罪です。

いまの長寿国日本の老人達は、子供の頃に汚染された食物を食しませんでした。 幾年か後、長寿国日本ならぬ短命国日本にならないのかしらと、不安要素が一杯です。

農薬に汚染された食べ物の影響と薬剤長期服用の害は、すぐ現れるとは限りませんので、とても心配です。

先日、保険医療費の支払われる改正が発表されました。医師の診療費の向上と薬剤費の低下を願って居りましたが、微々たるものでした。 医学界というよりも製薬会社と行政の問題のようです。そして先ず厚生省に働きかける政治家と民間企業家の良心の問題です。

民間企業は〝利〟を追及するのは当然ですが、会社が大きくなれば、なる程、社会的影響がありますので、公序良俗という点で強い自制心が必要とされます。

儲けるのも公序良俗に反しない事を、心がけるのが前提の筈です。日本の製薬会社の経営陣が、それを守らなかったのでしょうか。

公務員達には〝公僕〟という言葉がございます。それは生きているのでしょうか。 その身分は民間の人達に比べて格段に保証されて居ります。憲法の下に不公平と思われる程違いがあります。 それはあなた方公務員は一時的利益の為に行動しないで、この国の国民を守って下さいという〝保証〟なのです。

その保証された身分のお人が一時的利益を追求する人間の資金力に、若し負けるとしたら大変由々しい大問題なのです。

政治には金が要ると云われて居ります。何故なのでしょうか。選挙に当選する為には必要だとされて居ります。そのお金は誰れに渡っているのでしょうか。それが重要です。 投票する人恐らく一般国民でしょう。

あなたは自分の未来健康な生命をその一票に託している筈です。安易に頼まれたからと言って選挙を軽く考えてはいけません。 あなたの未来。子供達の未来がかかっているのです。

選びたい人が立候補しないと申されます。何故でしょう。選挙に出るにはお金が掛かるからだと云われて居ります。 選びたい人が立候補出来るように金のかからない選挙にすればよろしいのです。 それが難しくて簡単でないとみな思って居ります。だから、みんなでいろいろ一生懸命 考えて民主政治が正しく執り行われるように試行しながら創り出して行くしかないのです。

職業による団体、宗教団体等大きな組織力を有する団体から出る人は最初から固定票を持って居ります。 先にも申しましたように、大きくなれば、人間個人個人の良心が団体としての欲に負けて了うような気が致します。

それでは団体に属さない一個人としての人間はどうすればよろしいのか。 それが以前では考えられなかった現在の技術革新による意思伝達の便利さを利用し、それを考え出すには若者達の得意とする事ではないでしょうか。

一人一人の心には良心も欲もあります。100%の善人も100%の悪人も居りません。 だから簡単に善人、悪人と決めないで下さい。簡単に自分をも他の人をも100%信用しないで下さい。

人間は弱い生きものです。ともすれば、自己保存に動いて了い、間違いを起こしやすい生きものなのです。それも目先の。長期展望が難しいのです。 その弱点と〝みにくさ〟を互いに指摘し合い、正していくしかないのです。

〝あなたは間違っていますよ〟〝ありがとう〟〝どのように間違ってますのか教えて下さい〟と。 それがデモクラシーの良さなのです。治められる者だけでなく、治める者をも佑けるのです。 私達の考え方が時代の進歩について行っていないのです。特に政治面について。私達がそちらに顔を向けていなかったのです。

治世者はその権力で私達一般人は利用されている。それはその通りでした。 彼、権力者、治世者も自分の弱さをカバーする為に警察力、軍事力を利用するのです。でも、いまの世は違うのです。

私達みんなが政治に日常関心を持ち続ければ、そして過去の封建制の名残りを排除するようにすればよろしいのです。 治世者を守る為の警察力、軍事力でなく、国民を守る為の警察力、軍事力である事を、 国民一人一人が自覚認識し行動を起こさなければならないのがデモクラシー主権在民なのです。

世界の若者達に、日本の若者達に期待いたします。

[グローバルデモクラシーへの道 5]
令和二年年一月十五日 県立中央病院にて
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