地球の民の子等

世界の若者達へ託す切なるねが


グローバル デモクラシーへの道(3)
この地球上に生命を授かった地球の民の子同志の殺し合いはしない不戦の誓いの同盟を若い人達に立ち上げて欲しい。

民主主義に基いた主権在民の〝宝刀〟を授かりながら、その〝有難さ〟を自覚していない。〝使い方〟も知らない。

私もそうでした。選挙で投票したらそれで終わり。あとは選ばれた人達が民主主義を実行してくれるだろうと。 何という甘さ。おめでたさ。不真面目。この主権在民という宝刀を労せずして、 頂いている私達は民主主義選挙等実現の為に、いかに多くのギセイ者と年月を経て来たかも知ろうとしないし、 だから敬意も抱いていない。この為に生命を賭した方々からみれば私達の不甲斐なさは歯ぎしりものでしょう。

以前の書き込みで申し上げておりますように選ばれた方々の心情も単純なものでない。 選挙に立候補する前の気持は選挙後は変わるのです。大抵の人は変わるのです。 変わらざるを得ないのです。私も同じ立場に立ったらそのようになる可能性が高いと思います。

先ず自らの立場を安定させなければ、長期的に為そうとする事が為せないからです。 数年毎に選挙で揺らいでいたら落ち着いた分別が出来ず目先の事それも落選しないように手を打つしかありません

先日(11月の中頃)政治家は尊敬の対象でないと答えた人が多いとテレビで報道されて居りました。 それでよろしいのでしょうか。但し英雄を望むのも危険だと思います。特別秀れた英雄が私を幸せにしてくれるのではありません。 民主主義の世では、私は私を、あなたをあなたが幸せにする権利が与えられ行動が認められているのです。

ついこの間迄、その出自によって治められる側に生れた大多数の人達の生命は自分のものではありませんでした。 治める側の人、統治者、権力者に握られており(殿様)を守る為の捨て石、捨て駒的存在価値だったのです。

統治者になれる人は極く限られた階級の人々です。 立派な統治者も居ったでしょうが、大方は私達同様限られた生命を抱き数分後の未来も何が起こるか、 予測出来ない普通の人間、その自らを偉大な人間に見せる為の〝欲〟の為に、人類史上いかに多くの人命が無駄に扱われたものか。

その無念さは出自によってあきらめていたのでしょうが。現在の世もまだ似たような状況に居る国々が少なくないでしょう。 この民主主義の世でも。それは何故なのか。ようくお考え下さるように。

最近地球の資源のみならずいろいろ〝エコ〟が叫ばれ人々の賛同を得ております。 〝エコ〟の対局にあるのは無駄、無駄の最たるものは戦争です。 戦う人の生命ばかりか、それ迄何百年もかけた人類の文化遺産を一瞬の内に灰にしてしまいます。

大方の民達は誰も戦争を望んで居りませんのに、戦場に駆り出されなければならないのかを、じっくり考えた事がありますか。 じっくり、じっくりお考え下さるように希います。

国民を守る為に、仕掛けられた戦いだから止むを得ず応戦せざるを得ない場合もあるでしょうが。 戦争の大義名目にだまされないように。選挙で選んだ私達の代表である筈の統治者が、嘗ての封建時代の昔の権力者と同じような事を繰り返しているのか、 何故そのような事を為すのか、そのような心情になるのか、私は以前の書き込みで述べました。

戦争を起こすボタンを極く少数の人間に任せているからです。かっての軍隊は権力者の命に従い権力者を守る為でした。 いまは国民を守る筈なのに、かっての権力者を守って来た時と同じように働かされている場合が多いのです。民主主義の世に何故でしょう。

人間は荒地(誰も歩んだ事のない)に簡単に足を踏み込み入れないように、思考においても全く新しい事を考え出すのはとても難しくて出来ないのです。 いまの世のコミュニケーション等技術の向上は私達の予想を超えて進歩しました。その技術の進歩に私達の思想(一人一人の考え方)は従いて行ってないのです。取り残されているのです。

あなたの生命は、あなたのもの、なのに封建時代と同じように望まぬ戦場に駆り出されなければならないのか、ようくお考え下さい。

トップに坐った人間、権力者はその座に長く居座ろうと自ずと行動するし、その〝力〟を誇示し使用したくなるのです。

民主的選挙で選ばれた筈の人間も嘗ての統治者と似たような道を辿るのです。 模倣するのです。だから私達は選んだ人をしっかと監視しなければなりません。それが私達のつとめ(権利)なのです。

民主主義的行為に反する事を為そうとしたらそれをストップさせなければなりません。 それをストップさせ得る仕組みを作らなければなりません。その仕組みはまだ出来て居りません。過渡期なのです。

封建政治から民主政治への過渡期なのです。民主主義の〝宝刀〟を私達は扱い馴れておりません。これから皆で力を合わせて有効に扱う仕方を考え出し互いに学ばなければなりません。

相変わらず大国は偉そうに振る舞っております。そしていろいろ大義名目を出して旗を振り、小国達を従えさせようとしております。

地球上に生まれた私達地球の民の子等はみな一人一人平等です。このたった一つの大切な地球。たった一つの我が生命を大切に扱わなければなりません。

嘗ての大戦争等戦争で亡くなった戦死者のは何を希っているか考えてみて下さい。私は靖国神社を参拝するといつもこのように念じます。

〝あなた方のような尊い若い生命を散らす戦いを起こしたくない。起こされたくない。その為に私には何が出来るのか。微力ながら何かを為したいが、唯今のところ、これという事も為せず申し訳ない。 何よりも平和を。戦争のない世をあなた方は望まれますよね〟と。

そして天皇陛下万歳と叫んで生命を終えた彼らの寂しさが、ひしひしと感じられるのです。 絶えた生命は生き返る事はないので、あなたの死は無駄(死ななくてもよかったのかもしれない)だったなんては決して言えない〝死〟という甦る事のない〝現実〟は肯定的に受け止めざるを得ない。

あなたの死は、これこれの役に立った、祀り上げなければは浮かばれない。 でも、時の権力者の恣意によって、死ななくてもよい生命を終えた方は多数ある筈。

大部分がそうじゃないかしら。それ故、戦死者の祀り方は人間の為す事の中でも、真実を抜きにして、美化され易い事に気を配られなければならない。 彼等の前で、これからの不戦の誓いをする事こそ、御霊鎮めにと私は考えます。

お医者様は一人一人の生命を長らえさせる為に一生懸命学び、努めているのに、生き続けたい人々の生命を大量に、一瞬に、無どころか全てマイナスにする戦争こその悪行は、ない。

いまの政治の仕組み、権力の在り方を変えなければならない。変えられる手立てはたくさんある筈。 それを若者達に期待したい。小国の民達の結束に期待したい。大国の若者達にも等しく “地球の民の子” という意味で期待したい。

民主主義の世界観では、あなたの生命の行末はあなたに委ねられている筈なのに、あなたはその〝力〟を行使せず成り行きに任せているのですか。 望まぬ戦争に駆り出される危険性だらけですよ。

[グローバルデモクラシーへの道 3]
令和元年十二月三日 自宅にて 了
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